2015年7月 A.B.C-Z ファンミーティング 神戸

噂のおさわりミーティングである。
当選してしまったのだ。有り難い。
半月ぶりの高速バスに乗り込み、神戸を目指す。
 
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大阪でのキスマイイベントではパトカーが出動していたので、こちらもさぞかし賑わっているのだろうと心構えをしていた。
 
会場1階 エレベーターホールの壁に沿って静かに待機するえび担の皆さん。
静か過ぎて(ホントにここで合ってる?企業の合同説明会じゃないよな?)と不安になるくらいだ。
しかし黄色いスカートをお召しになったお嬢さんや、ラベンダー色のカーディガンを羽織ったお姉さん、❝あのバッグ❞を肩から提げた方々なので間違いないのだろう。
 
促されるままにエレベーターに詰め込まれ、どうぞどうぞと譲り合う。
会場前のがらんとした待機スペースでは、各々が声を掛け合って整理番号順に整列せよ、そして揃ったら床に座っておれとの事だった。
高校の修学旅行かと。
大人しく従う我々。
イベントスタッフの談笑が丸聞こえだったと云えば、どれほどの静けさかお分かりいただけるであろう。
 
隣の席のお姉さんは九州から来た神宮寺担だった。ガムシャラ出演Jr.について楽しく語り合えた。
 
時刻が迫り、2.3人の声から始まる「え~び~し~じ~(パンパンパンパン)」。
気持ちも温度も高まりきっていたので、悔いの残らぬよう声を張った。
 
イベントスタッフもマイクで煽る。
はいはいはい皆さんいいですねー!声出していきましょう!アイ!!え~び~し~じ~!!(パンパンパンパン!!)
 
(そういう感じのやつなのか…?)うっすら笑っていたら、A.B.C-Zが登場しキャーの声が上がり始めた。しかし様子がおかしい。
 
五関さんの顔に眼帯、手足には包帯。メンバーも神妙な面持ちで壇上に上がる。
前の晩、食事を終え店を出たところで交通事故に遭ったそうだ。大切なイベントだからと無理をして病院を抜け出してきたのだと言う。
ファウストもあるのにどうすんだよ…」
河合郁人の泣きそうな声だった。
この時点でカラシマ大号泣。隣のお姉さんが笑いながらティッシュをくれる。
手の込んだ冗談だと理解し今度は安堵の涙が止まらなくなり、お姉さんが束でティッシュをくれる。
 
少クラでJr.がやっているようなジェスチャー伝言ゲームや胸キュンシチュエーションを織り交ぜ、懐かしの先輩ジャニーズ曲メドレーなど、充実した内容だった。
Summer 上々‼︎に至っては、居ないはずのSnow Manが見えた。思い込みって怖い。
 
お見送りはA.B.C-Zとのハイタッチで。

 

塚ちゃんの手は温かかった。

「サスケかっこよかったです!」
「ありがとうございます!」
塚ちゃんの人の良さが伝わってくる。
 
間近で見る五関さんは男前だった。知らなかった。ビックリした。
本人を前にマジで「ファッ!?五関さんカッコよ」と言ってしまった。
 
気まずそうに佇むトッツーの手はぬるかった。
人間らしい熱はあるが、芯の冷たさを感じた。(トッツーを何だと思ってるんだ)
 
河合郁人は想像以上に小柄だった。
厚底スリッポンを履いた私と同じくらいの背丈だった。
触った。深澤の尊敬する先輩・河合郁人に触った。
 
ウワァと思う間もなく最後のハッシーにたどり着く。
激ヤセしたと大騒ぎになっていた頃だったので、掛けたい言葉はたくさんあった。
ハッシーの手は氷水でよくシメたざるそばのように冷たかった。それだけで胸が締め付けられた。
 
自分の手を見つめながら、やはり泣きながら会場を出た。

よみうりテレビでーす。すいません今泣かれてましたけどA.B.C-Zはどうでした?どんな気持ちですか?」
…聞いてない。おいマジかよ。今の今までA.B.C-Zといて、10秒も経ってないんやぞ。そんなん最高ですわ。
 
A.B.C-Zの魅力って何ですかね?」
ズバ抜けた身体能力!?長い下積みとその間に培ったファンとの絆!?A.B.C-Zのことをよく知りもしないのに、口からペラペラペラペラ出てくる。私は何なんだ。
 
「最後にカメラに向かってA.B.C-Z最高ってお願いします!」
A.B.C-Zサイコォー!!涙目で何をやっているんだ私は。本当に私は一体何なんだ。
幸いにしてOAされなかったようなのでこうしてブログに記しておく。社会的に死なずに済んだ。
 
A.B.C-Zとハイタッチを交わしたというのに、自分自身の訳の分からなさが笑えてきて、ニヤニヤしながら三ノ宮のダイエーでオムライスを食べた。
 
A.B.C-Zとはなんて素晴らしいのだろう。今後もたくさんその姿を見せてほしい。
ハッシーの健康を心から願うばかりだ。

2015年6月 A.B.C-Z 大阪

代々木公演に参戦したフォロワーさん達がこぞって「曲も演出も含め、カラシマは絶対に河合郁人のソロ曲が好き。間違いなく好き。」と言ってくる。

真相を確かめるため、A.B.C-Zが誘う初夏の宴への参戦を決め込む。
 
夜行バスに揺られ、大阪を目指す。
遠征の際の交通手段は基本的に最も楽なものを選ぶようにしているが、1日しかない休日で昼夜両公演に入るため、炎の0泊3日弾丸ツアーを組むことにした。
 
アルバムは徹底的に聴き込んだし、五関先生監修の振付も習得した。
Shower Gateのイントロを聴くだけでサスペンダー付きの爽やかルックSnow Manが思い浮かぶ。完璧、完璧だ。
 
大阪城ホールに到着したのは朝7時。既にグッズ列が出来ている。今さら(A.B.C-Zって、もしかしてヤバイんじゃないのか)と怖気付く。
さらにむくみ芸を得意とするカラシマ、出発時には問題なかったサンダルがバス移動により履けなくなるという安定ぶり。到着時点で既にヨタヨタであった。
 
今回は何がなんでもパームライトが欲しかった。ペンライトは写真ではないし、メンバーの顔が描いてあるわけでもなければ喋りもしないし、動きもしない。電池により光る棒だ。NEWSでもジャニーズWESTでもそうだが、ペンライトだけは絶対押さえておきたかった。
これはキスマイ新春イベントに入った時に「圧倒的に武器が足りない」と感じたからなのだと思う。
しかも、パームライトは空気を吹き込んで膨らます仕様。わけがわからない。そもそも意味や理由なんて必要ない。パームライト、欲しい。その一心だった。
 
今回も姉(バンギャ)と現地で合流し、まずは昼公演に臨んだ。
開演前に「え〜び〜し〜じ〜(パンパンパンパン)え〜び〜し〜じ〜(パンパンパンパン)」コールが始まった。妙に気恥ずかしく、手拍子でしか参加できなかった。
 
完璧だと思っていたが、A.B.C-Zの過去のライブ映像などは観たことが無かったため、Shower Gate以外の振付が分からなかった。勉強不足を猛省した。
 
大和魂ヘアの岩本照が無邪気な笑顔でお手振りをくれた。
深澤辰哉はあまりこちら側に寄り付かなかった。
寺西拓人がプリプリしていた。
ジャニーズWESTの淳太くん、濱ちゃん、藤井流星が見学に来ていた。
 
 
渚のBack In Your Heartが素晴らしかった。
『ライブの楽しみはセトリが9.5割』芸人カラシマ、好きな曲は生で観られるだけで嬉しい。
アルバムの曲順にも制作陣の様々な意図が組み込まれていると解釈しており、アルバムのストーリーというか世界観を読み取ろうと心がけている。
渚のBack In Your Heartはボーナストラックなので個人的にはエンディングテーマ扱い・別れの曲なのだが、コンサートではわりと早い段階で巡り会う。
甘酸っぱく切ない歌詞、昭和歌謡曲風の展開、曲が終わってもまだコンサートが続くという喜び。涙なくして語れない。
 
 
問題の河合郁人ソロ「未来は明るいかい?」は、我らが宮舘涼太が振付を担当したとの前情報があった。
 
私の好きなジャニーズタレントを羅列してみると、デビュー組・Jr.問わず河合郁人の親友だったり、尊敬する先輩が河合郁人だったり、何かと河合郁人に所縁のある人がほとんどである。
河合郁人の周辺大好き芸人を名乗ってもいいくらいだと思う。
と言いつつ、やはりA.B.C-Zのアルバム以外持っていない私は、なんだかんだで河合郁人がどういう人なのかよく理解していない。
 
Snow Manを引き連れて歌い踊る河合郁人はめちゃくちゃカッコよかった。
おいしいパスタを一緒に食べたいと思った。
 
 
昼公演を終え、フォロワーのここなっつ氏と初顔合わせ
入れ違いでサイちゃんと合流し、夜公演に臨む。
 
夜公演には覚えたての向井康二くんとりゅちぇ、ジャニーズWESTの重岡くんが来ていた。
 
Wアンコール後もしばらく「え〜び〜し〜じ〜(パンパンパンパン)」があったが、申し訳なさそうに(ニュアンス)終演のアナウンスは流れた。
これを受けどこからともなく沸き上がる拍手。心底(えび現場、あったかぁ…)と思った。
 
 
終演後はライトアップされた大阪城を横目に、流されるように梅田へ向かった。
サイちゃん・ここなっつ氏と野菜を食べまくった。
横尾担として知り合った3人がA.B.C-Zの現場で顔を合わせるというのもなんだか不思議である。
話題はとっ散らかっていたが、私はひたすら「星と星繋いだね…」「過去と未来繋いでたわ…」と言っていたような気がする。
 
 
夜行バスに乗り込み、大阪の街を後にする。
ウォークマンでアルバムを聴き直し、余韻に浸る前には眠りに落ちていた。
2008年のマキシマムザホルモン以来のバス遠征だったので身体は非常にしんどかった。
更にしんどいのは次の出勤日。
悲しい曲でもないのに、「未来は明るいかい?」が胸を締め付け、涙を誘い、そして疑問を生む。
 
私はこんなにも河合郁人のことが好きだったのか?
 
明るい未来の中に、答えはあるのだろうか。

そして雪山へ

事件はいつだって突然やってくる


(会社でJr.好きを公言した覚えはない)

 

 

これだけが原因というわけではない。
横尾さんは何も悪くない。少し後に八重歯が無くなるが、私にとっては大きな問題ではなかった。
メンバーのラジオでの発言、アルバムの内容、ただでさえ日ごとに好きなJr.が増えていっている状況、「これ以上キスマイを嫌いにさせないで」と願う日々だった。

(嫌いになりたくないなら、好きなところを探せば?)
すがる思いでキスマイのDVDを再生した。

(私はキスマイのどこが好きだったんだっけ)
Shake It Upが大好きだった。クリエでSnow Manが歌ったらしい。観たかった。キスマイの曲だけど、Snow Manが歌っているところが観たかった。

好きなところを探そうとすればする程、嫌なところが目についたので、北山先輩のソロ曲まで早送りした。
Snow Manが観たかった。
それが答えだと気づいた。

周囲の友人は察してくれていたが、よくある「担降り宣言」に踏み切るまでに時間を要した。
Jr.垢を作ってしばらく経ち、呟いた頃には「Snow Manからどこに降りるの?」と言われたくらいである。


キスマイはジャニヲタとしての入り口であり、故郷でもある。
やはり横尾さんの活躍は嬉しいし、幸せになってほしい。ただ、もう“ほっとけない”の対象ではなくなった。

恐れていた「飽き」の訪れを自覚し、私は猛吹雪の雪山へ向かった。

2015年5月 ジャニーズWEST 広島

前述の通り、シアタークリエ「ジャニーズ銀座2015」Snow Man単独公演のために取得した有給休暇だった。

広島へは車で行けるが決して近くはないし、クリエへの未練が捨てきれなかったため、実は直前まで気乗りしなかった。
同行する姉(バンギャ)よりアルバム収録曲「アカンLOVE〜純情愛やで〜」でパラパラを踊ると聞かされ、ユーロビートオタクとして俄然行く気になった。

テレビ東京系も入らなければ関西ローカルも入らない地域なので、ジャニーズWESTの活躍は音楽番組か少クラでしか知り得なかったが、救済してもらった関西の番組で重岡くんがダブルダッチに挑戦していたことを知る。床のパネルがめくれて大変そうだった。
濱ちゃんがオアシズの大久保さんに対しめちゃくちゃカッコよく振る舞う番組も入れてもらっていたので、ナマの濱ちゃんを観られるのは楽しみだった。
あとは“テルシ”が北山先輩のことを「みっちゃん」呼びするのが熱いと思っていた。

NEWSの物販では炎天下に長時間並んで大変だったと姉が言うので、熱中症対策万全で広島に向かった。
物販は涼しい建物の中にブースがあり、拍子抜けした。
ここでは自分用のパリピポペンライト、友人に頼まれたうちわとパンフレットを購入。

開演前から「ジャニスト!(パンパン)ジャニスト!(パンパン)」というコールが飛び交う。
NEWSの時も「にゅ〜す、にゅ〜す」という声があったが、その比ではない。完全に主観で本当に申し訳ない。「ジャニスト!(パンパン)」は怒号に近かった。
「いてまえ」とか「やったらんかい」みたいな気概を感じた。率直に(関西、怖い)と思った。

姉が淳太くんうちわを自作して来ていたので、一緒に持ってあげることにした。
事あるごとに淳太くんはこちら方面に駆け寄ってきて、熱心にお手振りをしてくれた。アイドル様だった。

重岡くんはお風呂上がりばりに汗を拭きまくっていた。歌って踊る時以外はたいがい汗を拭いていた。
歌の最中、ふとした瞬間に幸せそうに目を細める時がある。フォロワーのしゃまいんちゃんのツイートで知っていたが、「これか」と思った。
客席やメンバーなど特定の誰かに向けるわけでもなく、やんちゃなスマイルとも不敵なニヤリとも違う、慈愛に満ちた優しい顔をする。
重岡くんのメンバーカラーが赤で8月生まれの乙女座ということくらいしか知らなかったが、今回大変な事実を知ってしまったなぁと思った。

8月生まれの乙女座といえば、確か“テルシ”もそうだった。
骨太で安定感のある体型の男性が好きなので、なんだかんだで“テルシ”は気になっていた。
“テルシ”は男っぽく力強い踊りをしていた。双眼鏡の視界に入れた瞬間「あっ好き」だった。

申し訳ないことに、関西Jr.も全然分からなかった。
ただ、お立ち台で岩本照に似た雰囲気の子が楽しそうに踊っているのが気になった。
帰ってからフォロワーのサイちゃんに聞くと、どうやら向井康二くんというらしい。改めて向井康二くんの名前をググってみると、V6の三宅健にそっくりだった。
岩本照は三宅健には似ていないのに、向井康二くんは岩本照に似ているように見えたのが不思議だった。
これは最近知ったことだが、向井康二くんのお兄ちゃんと岩本照が似ているらしい。日本はなんて素晴らしい国なんだ。

アンコールの際は「ジャニスト!(パンパン)ジャニスト!(パンパン)」に参加した。声に出してみるとなんとも軽快で小気味良く、「ジャニ」の部分で自然と口角が上がる。口角が上がると声に表情が付く。楽しいと思いながらその一部に溶け込んでしまえば、(関西、怖い)は完全に消え去っていた。


帰りの車中で、姉との会話は成立しなかった。
「あきとくん結婚したい」
「じゅんじゅん…」

関西はやっぱり恐ろしい。


2015年5月 NEWS 福岡

2015年5月
NEWS LIVEツアー「White」に参戦するべく、福岡へ飛んだ。
初めての「ジャニーズのコンサート」である。

別の現場からハシゴして来た姉(バンギャ)と現地で落ち合い、先に買っておいてもらったペンライトを受け取る。
慶ちゃんは特別な存在だが、私には『自作うちわを持つのは横尾さんだけ』という条例があった。条例というか法律、私の中の憲法だった。

会場周辺では、至極当然のことではあるが周囲にキスマイの話をしている人がいなかった。
思い返してみれば、横浜の新春イベント、大阪のリリースイベント、新橋の滝沢歌舞伎と、いずれもキスマイにゆかりのある現場しか入ったことがなかったのだ。滝沢歌舞伎はキスマイ現場ではないが、当時の私は「横尾担として北山先輩の仕事ぶりを観に行ったんだから関連といえば関連。何も問題はない。それにしてもSnow Manは良かった」と、何やら必死に言い訳をしていた。
並んでいる間、姉とは阿部顕嵐の話をしていた。


予定の時刻を少し過ぎて開場となった。
地域柄なのかそういう方針のイベント会社だからなのかは分からないが、ドアオープンの際、一斉に「いらっしゃいませーッ」と頭を下げてもらった。

マリンメッセのスタンドは、物理的によく揺れた。
NEWSは私の好きな曲をたくさん歌ってくれた。

知っているJr.はシャルフだけだった。
照明が当たらない外周を走って移動する子も、旗を振る子も、名前が分からなくて申し訳ない気持ちになった。
手越ではない鮮やかな金髪の子が印象的だったので、(君の頑張りは忘れないよ)と心に誓ったが未だに顔も名前も分からない。

MCの流れで「事務所の同期は誰?」という話題が上がった。
慶ちゃんが特有の優しい喋り方で言い放つ。「横尾と二階堂」。
誇らしい気持ちでいっぱいだった。その二人、自軍なんすよと。やえばず尊いんすよと。ため息なんてNo No Noなんすよと。
KAT-TUN結成の企画段階でA.B.C-Zの五関さんも加入予定だったという話も聞けた。

うちわを持たずメンバーカラーにちなんだコーディネートもせず、何なら仕事に行くような格好で突っ立っていたので、分かりやすいファンサービスを頂くことは無かった。
場内で揺れる白いペンライト、慶ちゃんが属するNEWSと共に過ぎる時間、それだけで充分満足できた。


終演後、姉と博多に向かいうなぎを食べた。
一口食べるごとに「慶ちゃん可愛かった」と漏らした。

横尾渉ほっとけない芸人のスタンスとして、横尾さんは“ほっとけない”であり、決して“カッコいい”では無かった。もちろん横尾さんはスタイルが良くカッコいいが、横尾さんに対し“カッコいい”は何故か照れ臭く、いつも“可愛い”で誤魔化した。横尾さんだけでなく、キスマイに対してもこれは同じだった。
しかし、横尾さんは“可愛い”だけでは語り尽くせない。休日に「パパ車貸して」とねだられたいし、気まぐれでお弁当を作って欲しいし、何よりたくさんの人に愛されて幸せになって欲しい。このような雑念・願望総てひっくるめた結果“ほっとけない”に至った。

慶ちゃんはほっとけなくない(?)が、やはり“カッコいい”は照れ臭かったので、形容詞はいつも“可愛い”だった。
この頃から、“可愛い”は便利だが逃げの表現であると薄々勘づき始める。
ちなみに土田晃之は超カッコいいし愛してる。


2015年4月 滝沢歌舞伎 10th Anniversary (2)

翌週、今度は姉と2人で演舞場に赴いた。
滝こみご飯弁当を買い、ドヤ顔で「トイレは混むからこのタイミングでね」などと指示しまくった。

前週の観劇から毎日パンフレットを読み込み、観たいJr.が増えていた。
特にThey武道の江田ちゃんは縁もゆかりも無いが八重歯が可愛らしく、勝手に江田ちゃん呼ばわりするほど気に入っていた。

予定通り“ひーくん”に照準を合わせ、おつまみ程度に江田ちゃんを観ることができていた。
“ひーくん”は良い感じにパーマがほぐれて別人のようにカッコよさが増していた。
太鼓導入の部分で控えめにシンバルをシャンシャンする“ひーくん”を楽しんだ。
腹筋太鼓のいちばんキツそうな場面では“フッカ”の苦しそうな表情も見たくなったので、心の中で(ひーくんごめん、一瞬だけ!一瞬だけフッカ見るね?すぐ戻るからごめんね?)と必死に詫びた。

お化粧シーンは前回より少しだけ全体を見渡す余裕が持てた。
体格のよい男達が柔らかそうなタオルで顔を擦らないようぽんぽんと汗を拭い、アイラインを引いていた。
手鏡を顔に近づける者、机に置いた鏡に顔を近づける者、お化粧の仕方はさまざまだった。
中でも“フッカ”のアイラインの引き方は、完全にギャルのそれだった。手鏡の持ち方、肩の入れ方、お化粧中の顔…全てに於いてギャルだった。恐らく母親か妹か、はたまた彼女か、身近な女性があのようにお化粧をするのを日常的に見ているのだろうと確信した。

個人的千秋楽ということもあり、終わってしまうのが本当に寂しかった。できることなら毎日演舞場に来て公演を観続けたいと心から願った。
2回ともほぼ天井席だったので、目が悪い私は双眼鏡必携、出演者と目が合うなんてことは一度も無かったし期待どころか思いつきもしなかった。
With loveを歌い終えたタッキーが三方礼のため、こちらを向いた。双眼鏡の中で目が合うなんて、初めての経験だった。驚きの余り動けなくなってしまった。

涙でグズグズの終演後、グッズ売り場を通り過ぎ、階段を下り始めたが、立ち止まる。
写真が欲しくなった。
2回までと決めていたので、今回を逃せば買えなくなってしまう。いずれ後悔すると思った。
心の中で(私ジャニヲタじゃないんですけどねぇ、Snow Manが好きなんですよ)と言い訳しながら、展示パネルに向かった。

大判のステージフォト 岩本照、深澤辰哉、宮舘涼太江田剛、集合の計5枚を購入した。
まだ戻れると思った。ステージフォトたった5枚。大丈夫。横尾さんの写真は1枚も買ったことはないけど、ステージフォトたった5枚。何も問題はない。家に帰れば横尾担。観光地のお土産みたいなものだと自分に言い聞かせた。

羽田空港ではやはりお寿司を食べた。
姉との会話は
「春のおどりは!」
「よぉいやさぁ」
及び
「みっくんカッコよかったぁ」
「ね、みっくんだったね」
に終始した。

機内でステージフォトを眺め、2人で演目ひとつひとつを思い出そうとしていた。すると後ろの席の女性に声を掛けられた。聞けば今井翼担で、席の隙間からタッキーの写真が見えたので気になったのだという。
タッキーが写っている写真は1枚しか無かったが、謎の親切心が働き、良かったらご覧になって下さいと手渡した。
Jr.担でもないのに極度に偏ったラインナップの写真を渡されても困るだけだよなぁと、今になって思う。
ありがとうございます、カッコいいですねなんて言ってくれて、今井翼担の女性はよく出来た人だった。


帰宅し、2人してもう一人の姉(バンギャ)に所感を述べ続けた。
所感といっても「春のおどりは よぉいやさぁ」「みっくん」「腹筋太鼓ヤバイ」しか言っていない。


数日後、同行した姉は北山先輩の腹筋太鼓姿を励みに筋トレを続け、ダイエットに成功、彼氏ができたと報告してきた。
一方の私は、アルバムの中で表情を変えない・喋らない・動かない岩本照、深澤辰哉、宮舘涼太に対し、「行ってきます」と「ただいま」を言う日々を送っていた。

滝沢歌舞伎は恐ろしい。



2015年4月 滝沢歌舞伎 10th Anniversary (1)

リリースイベントでキスマイとハイタッチをしたその月に、新橋演舞場へ滝沢歌舞伎を観に行った。お目当てはSnow Manだった。
かねてより気にかけていた“ひーくん”が、滝沢秀明にもらったドールハウスシルバニアファミリーのシカさん一家を住まわせていると知り、心臓から送り出される血液が沸騰するような感覚に陥った。
フカサワなのかフカザワなのかはよく分からなかったが、愛称を覚えたばかりの“フッカ”も楽しみだった。
“ひーくん”と“フッカ”をそれぞれ堪能するために、滝沢歌舞伎は2回入ることにした。

劇場でお芝居を観るということがそもそも初めてだった私にとって、アクロバットの音が聞こえることや大量の小判が降ってくる演出など、何もかもが感動に値した。

1回目は1人で観劇し、パンフレットを買って滝こみご飯弁当を食べた。
A.B.C-Zの橋本良亮が観劇に来た回で、難しい漢字は書かれていないと念押しされた鼠小僧の手紙「お便り」を「おびん」と読んでいた。

北山先輩や藪くんといった豪華な出演者がいる中で、“フッカ”はJr.だけれどいつもなかなか良い位置におり、見失ったと思った時はだいたいタッキーの左後ろを見れば解決した。
ジャニーズではないマッチョ達と共にやぐらのような舞台装置を移動させるのも彼らの仕事のようだった。
照明の当たらない位置で“フッカ”が背中を向けていても、目を凝らし(あの後頭部はフッカ、間違いなくフッカ。私には分かるぞ、見えてるぞフッカ!)と心の中で叫んでいた。出番になり照明の当たる位置に移動してきた彼は、やはり間違いなく“フッカ”だった。

何の予習もせずに臨んだので、腹筋太鼓には度肝を抜かれた。
“ひーくん”だけドラムをシバいていたので気になったが、(来週は“ひーくん”のために観劇に来るから、今週は“フッカ”に集中するね)と心の中で詫びを入れておいた。

そう前置きしつつも、2幕の義経では“ひーくん”扮する武蔵坊弁慶に釘付けとなる。
生で見る“ひーくん”は鍛え上げられた軍鶏のような体躯にアッサリとした顔立ちで、涼しげな目元が私好みだった。当時は黒髪できつめのパーマをかけており、ブロッコリーみたいな髪型で切れ長の目が見えにくかったが、弁慶の時はそのご尊顔をしっかりと拝むことができた。

弁慶は演舞場の花道にて、壮絶な最期を遂げる。
今年の義経は演出の都合上非常にコンパクトにまとめられていたと後から知ったが、短いシーンの中で『忠誠の心を持つ弁慶という男がオラオラ無双するけど、最終的に思いっきり死ぬ』ということを理解した。
場内に響き渡る弁慶の断末魔は悲しく、痛々しかった。弁慶の無念を想い、私は泣いていた。

殺陣のシーンでも“フッカ”はすぐに見つけられた。
屈強な弁慶が、脇腹を刺されても歯を食いしばり執念で踏ん張っていたのはよく分かったが、“フッカ”はなかなか死なず、3回くらい刺されてやっと倒れた。
「なぜすぐに死なないのか」という疑問よりも、お芝居とはいえ“フッカ”が死んだことの方が悲しく、やはり涙が出た。

北山先輩扮する景時は非常に悪い顔をしていた。
長髪を振りほどき戦場の修羅と化した義経に対し、余裕たっぷりの表情でにじり寄り、容赦なく斬りかかる。
今後「みっくんカワイイ〜♡超アイドル♡」なんて言えなくなるくらい冷酷だった。全然かわいくない。
普段からネタにしている小柄な体格も気にならないくらい圧倒的な存在感があった。

さっくん”は舞台上でひときわ異彩を放っていた。あの子だけ地球上の重力・引力が作用していないのだと思う。物理学的に完全にアウトである。それほど華麗な舞いであった。
そして発声が素晴らしい。声のきれいさもさることながら、その出し方がプロの域だったと元声優ヲタとして思った。

“舘様”の声も聴き取りやすく、特徴的でやはり発声が良かった。“ひーくん”が投げた刀を受け取ってくれた。
特段顔が好み!というわけではなかったが、なぜか気になる存在だった。

“なべしょ”はマザコンだった。
生意気で声が高い子としか認識していなかったが、お化粧シーンの大喜利でMCというか仕切り役を担っていた。
キスマイジャーニーでも村長役を任されていたので、こういう役回りが多いのだろう、慣れているのだろうと思った。
場を仕切る“なべしょ”の声は上ずっていた。これがいけなかった。
(何回もやってるからといって緊張しないわけないよね、慣れるわけないよね、なべしょ偉いよ。お仕事よく頑張ったね。)
気分は既に“なべしょ”のお父さんだった。

With loveは手話で歌っていることに気付いた。
“ひーくん”と“フッカ”が手話をしているという尊い現実に打ちひしがれ、またそれぞれが演じた劇中の人は死んだけれど“ひーくん”と“フッカ”は生存していることが嬉しく、ありがとうと言うべきは私の方だった。

その日はフォロワーのしゃまいんちゃんと飲みに行った。
横尾さんの話題は上がらず、ひたすらJr.について熱く語り、事あるごとにA.B.C-ZのCrazy Accelを歌っていた。


余裕を持った遠征スケジュールだったため、せっかく東京に来たし、ということで翌日は人生初のジャニショに行くことにした。
前述の自分ルールに則り、写真は買わないつもりだったが、どんなものなのか見るだけ見てみようと軽い気持ちで原宿に向かった。この時既に(“フッカ”の可愛いのがあれば1.2枚は買ってもいい)という法案が可決されようとしていたので、滝沢歌舞伎は恐ろしい。

NEWSもキスマイもたくさん写真があったが、いずれも写真でしかなかった。
Jr.コーナーの写真はセクシー系列とバカレア組がほとんどだろうと踏んでいた。トラジャや寺西も顔と名前は一致していたが、展示写真が見られただけで充分満足できた。
出口もすぐそこだったので、最後のパネルに目をやった。

4/4 入荷 Snow Man

岩本照、深澤辰哉、宮舘涼太、そしてSnow Manが揃った写真を合計38枚買った。


私の中で何かが変化していっている実感があった。
深く考えてはいけない気がして、気分を紛らわせるために羽田空港でお寿司を食べた。
帰りの機内で写真を見返せば、いつでも“ひーくん”の鋭い眼差しが私を捕らえ、ひょっこりと顔を出す“舘様”が愛らしく、盛り髪の“阿部ちゃん”が温度のない瞳をしていた。エレベーターの前に佇む“フッカ”がカッコいい気がしたが、それだけは完全に気のせいだと思い、直視を避けた。