ほっとけない芸人の故郷

それからの私はというと、起業をしたり、上司と盛大にケンカして退職したり、華々しいオタクデビューを飾っていた。
ひたすら映像作品を買い集める日々。
中でもDVD「SNOW DOMEの約束」は横尾さんの白シッポ付き衣装が大変麗しく、何度もShake It Upだけ再生した。
マジメな阿部という子が横尾さんのうちわを持っているのが嬉しかった。

関東とは数週遅れてド深夜にキス濱テレビが放映されていることを知り、無職というステータスを存分に活用する。
ちなみにキス濱テレビの後「おにぎりあたためますか」があって、「ジャニーズJr.のガムシャラ!」へと続く。
当時はジャニーズJr.といえば安井と高橋颯くんしか知らなかったが、裸の時代を読んだばかりで(横尾さんにもJr.時代があったんだよなァ…つまりJr.を知るということは横尾さんを知ることに繋がる…?)と思うと録画予約に至らないわけがなかった。ちなみに初めて録画したガムシャラはフィーエルヤッペン

Twitterでフォローしていたのはほとんど横尾担の方だったが、なぜかA.B.C-Z 特に河合郁人の名前をよく目にした。
読み方もわからず、「あびしーず?ナニ?」「かわい…いくと?何者?」のレベルだった。
デング熱が流行している中、代々木でコンサートが行われているらしかった。

あわせて、我が家でザ少年倶楽部が視聴できることに気付く。
Jr.の子たちがキスマイの曲を歌ってくれるのが嬉しく、A.B.C-Z河合郁人の読み方もここで知る。
ジャニーズWESTはテルシの声がよく立つ、セクシーゾーンは中島健人がスゴイ、A.B.C-Zは金髪の人が常にシャカリキと認識する。
キスマイ以外にも聞き覚えのある先輩ジャニーズの曲が観られるので、なかなかエモい番組だと思った。

このときのスタンスは『横尾担だけどジャニヲタではない』。他のグループに興味を持ってはいけない気がしていた。

地元では汗ばむ陽気の日が続く中、ホッカイロ ぬくぬく当番が発売された。
番組の合間のCMをわざわざ残し、30個入りを8箱買って懸賞に応募した。
横尾さんに直接影響するわけではないだろうが、少しでもキスマイのためになると思うと嬉しかった。
カイロは家族に配りまくったが、この冬使い切ることは無かった。

無事に就職が決まり、真面目に働き始める。
FNS歌謡祭のジャニーズメドレーでA.B.C-Zの「Crazy Accel」に惚れるが、気付かないフリをしていた。

横尾さんについて見識を深める上で、二宮和也小山慶一郎亀梨和也河合郁人野澤祐樹、岩本照の名前がよく登場するので、どのようなゆかりがあるのか調べた。結果、上記の面々に対し「お世話になっております」、あるいは安直に「横尾さんが好きな人は私も好き♡」と思うようになる。猫好きフィルターもあり小山慶一郎に対しては特別な感情を抱く。

余談だが、この頃姉がドラマ黒服物語にハマる。少年倶楽部中島健人を見るたびに「あの子黒服向いてないよ。早く実家の病院継いだ方がいい。たぶんお父さんも許してくれるよ」と報告してくる。

シングル「Thank youじゃん!」のリリース、そして深夜0時に日本縦断イベントが発表された。
入社したばかりの会社で欠勤を決め込む勇気は無かった。仕事あってのオタク生活なのだから無理をする必要はないと自分を励ました。

年が明けて、姉と横浜アリーナの新春イベントに参戦。これが初めてのキスマイ現場だった。
仕事終わりに飛行機と寝台列車を乗り継ぎ、翌朝7時に横浜入り、羽子板と風呂敷を買う。
通路側の席だったので誰か通ればラッキー♪程度に考えていたが、ド頭から玉ちゃんが登場し真横を通過する。
更に振り付け講座のコーナーでは真横に北山先輩が降臨、地声で「(振り付け)知ってる感じっすか?」と話しかけられ、アホみたいに頷きまくることしかできなかった。生の北山先輩はお顔が非常に小さく、ツヤツヤの肌に浮かぶ玉のような汗が美しかった。興奮する客席に嫌な顔ひとつせず、『アイドル北山宏光ここにあり』と言わんばかりの風格でどっしりと構えていた。
お目当ての横尾さんは寄り付くどころかいつもシャシャシャシャ〜〜ッと通り過ぎてしまい、残像しか覚えていない。
帰りの飛行機ではひたすら
「みっくん…だったね…」
「うん、みっくんだった……」
というやり取りが繰り返された。

コンサートツアーのDVDリリースもお祭り騒ぎだった。ただ、ボリュームがあり過ぎてなかなか手を付けられなかった。
渡辺翔太はえっらい声が高いな、と思った。

舞祭組「やっちゃった‼︎」キスマイ「Kiss魂」とリリースが続き、連動イベントに応募するため根性でCDを買いまくった。
特典の等身大ポスターが届き、自室のベッドに寝かせたり車に乗せたりして遊んだが2時間程度で飽きる。
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「ただいま〜。横尾さん風邪の具合どう?あっいいよ寝てて」とか言ってた。

リリースイベントは見事当選、会社の二階堂担と仕事終わりに大阪へ直行する。
空港まで行ったが搭乗する予定の便が欠航、自家用車で高速道路を駆け抜けた。

イベント会場はこじゃれた施設で、横尾さんに会えると思えば疲れも感じないつもりだったが、立ちっぱなしでの待機は辛いものがあった。

舞祭組とキスマイ、それぞれの曲披露、宴もたけなわといったタイミングでニカちゃんが「ハイタッチしよ」と言う。
またまたニカちゃん、そんなこと出来るわけないやん…ありがとありがと、気持ちは嬉しいよホント などと心の中で“ガッカリしない為の保険”を掛け始める。
すると北山先輩が「じゃあ…準備しますか」と言い、メンバーがぞろぞろとはけて行く。
隣のお姉さんは福岡から来たらしく、ヤバイですね、遠征した甲斐ありますね、とはしゃぎ合った。

根拠も無いのに、ハイタッチの順番は北山先輩からだと思っていたので、待ち構えるニカちゃんに動揺した。ニカちゃんは想像以上に肩幅がごつかった。
キスマイの手のひらに向かって申し訳程度に指先を接触させ、容赦なく流されて行く。流れに逆らうわけにはいかないが、この目で横尾さんを拝まねば、この想いを伝えねばならなかった。
横尾さんの背は高く、手は冷たかった。
普段から言っている宇宙がどうちゃらこうちゃらだのでは瞬発力に欠けると察した私は、柄にもなく
「横尾さん愛してるよ!」
と発した。
横尾さんはぱっとこちらに顔を向け、ニコっとしてくれた。直後に触れた藤ヶ谷メンバーの手が温かかったのもよく覚えている。

会場から排出された私は泣いていた。4月のよく晴れた大阪の空が眩しかった。
フォロワーのサイちゃんとも合流し、4人でオシャレなカフェに腰を落ち着けた。
「胸が…いっぱいだね…」
「うん……あんまり食べれないや」
みんながスウィーツのみ注文する中、私はビーフシチュー御膳を注文した。

同行した二階堂担は、帰ってから担当を辞めると言いだした。理由を聞くと、好き過ぎて辛いのだと言う。私にはこれが理解できず、そして自分だけがオタクとして取り残されるのが怖かった。
「嫌いになったわけじゃないなら、好きを突き詰めたら」「ツアー決まったらまた会えるじゃん」などとわけのわからない理屈で必死に引き留めた。

この頃から理解はできないものの、業界特有の“担降り”という事象を認識し始める。
私は常々思っていた。
私が横尾担を降りるなんて有り得ない、後にも先にも横尾渉を超越するようなジャニーズは存在するはずが無いと。
同時に、飽きっぽい性格ゆえにいずれ必ず熱が冷めることも自覚していたので、その時の訪れを恐れていた。

飼い猫は死んでしまったので気持ちの整理に時間が掛かったが、「飽き」は自発的に気持ちを片付けてしまう。失うというより自分から手を離してしまうので、その時には辛くも何とも無いのだが、熱中している最中にふと手離す時のことを考えると、熱中の対象に(いつか飽きると思う、ごめんね)と先に謝らずにはいられない。
せっかちなんだか準備がいいんだか、何年経っても改善の見られない、まさに愛の構造的欠陥である。