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本当は恐ろしい深澤辰哉

「深澤に内緒で」
河合郁人宮舘涼太を食事に誘う一文に、深澤辰哉の人間性を見た気がした。

今日、会社からの帰りに私はぼんやりと(深澤って何者なんだ?)と考えていた。
頭の大きさや目の細さなど、人によっては耐えがたいコンプレックスになり得る身体的特徴をネタに、臆せずブサイク売りできる芯の強さ。
その実緊張しいで、佐久間にはやたら「空気を読め」と言うわりに、いざという時の発言は置きに行く。
帰宅し、河合郁人のブログを読み、私は混乱した。夕食も済ませたのに、衝動的に豚まんを食べた。

「深澤に内緒で」

いつかの雑誌で、岩本照が「ふっかは大切な人」と言っていた。「少し前なら顔がでかい人って言っていただろうけど」とも。
“顔がでかい人”のように、深澤には公の場で貶していい、むしろイジっておけばいいとさえ思わせる謎の安心感がある。
倫理や道徳はひとまずとして、世の中にはイジられキャラというオイシイ人種が存在するが、深澤は果たしてイジられキャラだろうか。真のオイシイイジられキャラとは、イジリの上手い下手に関わらず、イジられた際の反応の面白さに定評があり、そして下手なイジリでさえも一連の流れに組み込み、笑いに昇華させる“イジらせ上手”でもあると私は考える。では、深澤は面白いか。否、別に面白くはない。
面白くもないのに、なぜ人は深澤をイジるのか。

■“深澤ほっとけない説”

深澤を前に引っ張り出すためなのではないか、という愛を感じる仮説。
雑誌のインタビューなど、Snow Man内のトークの仕切り役は渡辺が担う。その他メンバーは確立してきたキャラを活かし、「ここはダテさんに」「さすが気象予報士」「結局アニメかよ」「最後は照がバシッと」などとお決まりの展開を見せる。
深澤は気の利いたガヤを入れるでもなく、爆発力のあるギャグをブチ込むわけでもなく、妙に空気を読んでその場その場で求められる発言を察し、多くを語らず、決してグイグイと前のめりになることがない。
舞台上での付き合いの長い滝様や河合郁人は深澤のこういった性質を知っているからこそ、わざわざオチに深澤を持ってきたり、深澤とのエピソードをやや貶し気味に披露するのではないだろうか。

■“ふっかならいいや説”

感情をむき出しにして怒るような奴じゃないし、大して面白くはないけどちょっとは間が持つから、という深澤の懐の大きさに対するイジリ側の甘えではないかという仮説。
冒頭の「深澤には内緒で」は、誰にでも通用するものではないはずだ。例えとしてはあまり適していないが、イメージだけ伝わればいいので敢えて挙げるが、これが戸塚祥太だったなら。

河合郁人「宮舘 砂のグラス歌おうな。トッツーには内緒で。」

塚田僚一「宮舘 ご飯行こうね。トッツーには内緒で。」

笑えない。面白くないとかつまらない以前に、全くもって笑えない。心が締め付けられるようだ。最近の私のお気に入りがトッツーであるということを抜きにしても、辛すぎる仕打ちだ。
それなのに、深澤に対してはなぜかハードルが低い。

顔でかいネタは仲の良い後輩Jr.にもしばしば使われるが、これもやはり誰にでも通用するものではない。
誰が岩本照に対し「岩本くん目ぇ開いてんすかwww」などとイジることができようか。
けれど、深澤に対してならわりと誰でもセーフ。小学生のちびっこJr.にイジられようものなら「ショタコンおじさん」とあだなされる子ども好きの性格が際立つし、先輩からのイジリであれば「愛されふっか」の体現である。

なぜ“ふっかならいい”のか。
この辺りが抽象的で非常にわかりにくい。
持って生まれた先天的な気質や、家庭環境の他に深澤辰哉という人物像を形成したものとは。きっと本人でさえわからないだろう。
ただ、過去に深澤自身より二枚目路線から三枚目路線に変更したとの発言を見た覚えがある。この時の覚悟が今日の“ふっかならいいや”という風潮を創り上げた一因とも言えよう。

結局どれだけ深澤について考える時間を割いても、現時点で行き着くのはこの通り「三枚目路線に変更したから」。まるでメビウスリング
深澤の恐ろしいところはここである。
キャラはあるのに、つかみ所がない。
友人に「ふっかってどんな子?」と聞かれても、まずは「う〜ん 顔でかい!」と答えてしまう私であった。




しかし最近は高確率で「別に大きくなくない?」「周りの子の顔が小っちゃすぎるだけじゃん」と返ってくるので、内心カッコいいと思っているのに素直になれない、私の中の深澤という一種の現象…。