シリーズ この曲の“君”になりたい 第一夜

ジャニーズ楽曲の世界観に飛び込むとしたら

マキシマムザ亮君の合法トリップよろしく、自らを歌詞の世界に転送するのだ。
今シリーズでは“君”が登場する曲の中で、「どの“君”になりたいか」を考える。(シリーズ化する気満々)←本当は1記事で数曲書いて終わらせるつもりだったが、各方面に催促されるので取り急ぎこの一曲を。


▼Crazy Accel/A.B.C-Z
“哀しい瞳”、女性らしい触感・ぬくもり、愛し合った記憶。「君」はもうそばにいないのに恋心が加速し続ける、やるせない月夜。
「僕」の心が痛むということは、「僕」の過失で「君」に哀しい思いをさせてしまったのだろう。

私はこういった“ごめんよ僕がバカだった”系失恋ソングが大好物である。サザンオールスターズももちろん大好きだ。
この手の曲を聴く度に「君」が死んでしまったことによる別離なのか、物理的に遠くへ行ってしまっただけなのか、恋愛関係の解消・交際終了なのかを分析する。
曲によっては「白い花に囲まれ…」「今ごろあいつの腕の中で」などと情景で死や心変わりを明言するものもあるが、当該曲に至っては一見それがないため死別とも失恋とも読み取れる。失恋の初期衝動、“あたり前”だったものが姿を消してしまった戸惑い。行方を探す術もない。
しかしながら“月が消える前に”という制限時間が気にかかる。

なぜ一晩のうちに見つけ出さなければならないのか?

この夜を逃せばもう二度と「君」にたどり着けない?

「君」とは夜を共にするだけの関係で、夜間にしか会えない事情がある?
夜でないと会う気にならない?
そら「君」も瞳に哀しさが滲むでしょうよ。

それでも私は「君」になりたい。
“幸せを運んできた風”を髪どころか全身で浴びたい。自分が姿を消した後もこんな風に愛されたい。
自身の一部を“とんがった君の憂鬱”などと表現してくれる人に想われたい。そしてある日、跡形もなくこの人の前から消え去るのだ。生きていたとしても絶対にこの人の元には戻らない。会うつもりもない。
風の噂を耳にし(あぁ そんな人もいたわね)と小さく浅いため息で済ませたい。

当該曲への思い入れが強すぎて歌詞の考察が大半を占めてしまった。
そして今ふと思いついたのが、「Crazy Accel 自分が死んだ説」。
遠くに行ってしまったのは「君」ではなく「僕」。死後に霊魂となっているか、生死の境をさまよっている。物理的に触れることもできない。月が消える頃にはもう…
歌詞がすぐご覧になれる方は一度そのつもりで読んでみてほしい。
もしこのパターンなら、私は「君」になりたいかどうか考え直さねばならない…。



■いざ書き出してみると(こんな風に愛されたい)という性癖が浮き彫りになってしまう恐ろしいシリーズ。皆さんもぜひ。