Crazy Accelに恋をして

動物番組で愛猫ニャン太と戯れる小山慶一郎を見てから、NEWSも気になり始める。
慶ちゃんは横尾さんと同期、さらに以前は同じユニットに所属していたと知る。

横尾担になる前からの友人で、ドぎついジャニヲタがいた。嵐・NEWS・関ジャニあたりを手広くカバーしており、私がキスマイに熱を上げていることに大層喜び、映像作品をたくさん貸してくれた。
特にNEWSのDVDは種類が豊富で、しかし作品ごとに人数が異なることに初心者ながら心を痛めた。
これでもかっちゅーくらいチャンカパーナを繰り返すDVDが印象的だった。耳馴染みのある曲ばかりで、4人のNEWSが流す涙は美しく、私の目頭を熱くさせた。

「横尾担だけどジャニヲタではない」がスタンスだった私には、いくつか条例があった。

・雑誌は買わない(きりがないし、必ず置き場所に困る。)
・写真やクリアファイルなど、公式の物でも映像作品以外は買わない(しゃべらないし、動かないし、そもそも横尾さんのヴィジュアルには執着がない。)
・キスマイ以外に課金しない

ここに、あっさりと追記が施される。
『キスマイ以外への浮気は許されない、でも慶ちゃんは特別。だって横尾ちゃんと慶ちゃんの仲だし、猫好きの人に悪い人はいない。』
慶ちゃんは特別だった。
芯の通った長身、褐色の肌にパッチリ一重。泣き虫で猫好きでスウィーツ好きで家庭的。お嫁さんになってほしいと思った。

私は世の中の法律や常識に従おうと心がけているが、人に言われたことは納得できないと素直に従えないきらいがある。自分で決めたルールによってのみ行動するので、この自分ルールは理性でありプライドであり、成人として断ち切るべき悪習でもあった。
しかし、その時その時の状況に応じ真っ先に意見を変えられる謎の柔軟性を持ち合わせているので、自分ルールはこの後しばしば改訂が行われる。

これにより、晴れてNEWSが解禁となった。
アルバムを引っさげたコンサートツアーが始まると知り、友人も当然のように福岡公演を申し込んでくれた。
予習のため、以前にも増して熱心にNEWSのDVDを鑑賞した。若かりしキスマイやA.B.C、京本大我など、知っている顔がいくつもありお得感が満載であった。深澤辰哉の顔が見えたような気がしたが、それよりもJr.時代の塚ちゃんの端麗さに震えた。


シアタークリエ「ジャニーズ銀座2015」にSnow Manが単独で出演することを知る。
一般発売日がたまたま休みだったので架電しまくったが、完売まで一度も繋がることなく砕け散った。
希望日は既に有給申請してあったため、自分でも驚くほど落ち込んでいた。
ジャニーズWESTにハマり始めた姉(バンギャ)がパリピポツアーの広島公演に連れて行ってくれることになり予定は埋まったが、気持ちはなかなか晴れなかった。

その日の昼、気分転換にCDショップへ出かけた。
A.B.C-Zの特典DVD付きアルバムを見つけ、本当は気になっていたCrazy Accelが収録されているから欲しかっただけなのに、あくまで「横尾さんが河合郁人にお世話になっているから」という自分ルールに従い購入を決意する。
アルバムはCD2枚にDVD1枚と、ボリューム満点の内容だった。曲が多すぎてどこから手を付けていいのか分からず、とりあえずCrazy Accelと、サイちゃんが好きだと言っていた砂のグラスを交互に再生し、そこから動けなくなった。

初めてフルで聴いたCrazy Accelは余りにもドラマチックで、駆け上がるような疾走感と哀愁漂う詞が胸に迫り、完全に恋に落ちた。
空き時間さえあればとにかくCrazy Accelを聴き、切ない恋心が加速してゆく様を憂い、「ベイベッベイベッ」した。
余りにもCrazy Accelが好き過ぎて、なかなか他の曲に行けず、このアルバムの全曲を聴き終えるのに数ヶ月かかった。

A.B.C-Zの楽曲は歌謡曲感があって非常にエモかった。
ずっとLOVEに見る80年代ユーロビート風の展開もオタク心を心地良くくすぐってくれた。
地方ゆえに彼らの活躍を少クラ以外の番組で観ることは叶わなかったが、相変わらずTLには横尾さん情報に紛れてA.B.C-Z情報が点在していたので、不足を感じなかった。

そんな通常運行のTLで、画像付きの速報が新しい風を運んできた。
A.B.C-Z アルバムリリースが決定、リード曲のMVにSnow Manが出演しているとのこと。
追加情報によるとシリアルコードで東京か神戸のファンミーティングに応募できるという。
深澤辰哉の尊敬する先輩が河合郁人であるということも既に認識していたし、キスマイのシングル以来CDを複数枚購入することに抵抗は無かったので、自分ルールに『A.B.C-Zは素晴らしいので何も迷わなくて良い』と追記し、amazonに飛んだ。


ほっとけない芸人の身じたく

聞かれてもいないのに、姉と少クラを観るたび「キスマイに何かあった時はスノーマンに降りるって決めてるんだ」と宣言するようになった。
もちろん降りる気なんてさらさら無かった。

とにかく横尾さんには横尾さんの幸せを追求してほしかった。
仕事で成功して忙しくなってほしい!
でも忙しくて体調崩すのはかわいそう!
じゃあ横尾さんの幸せって何?
そう考えた時に、結婚願望があるとの発言がしばしば見受けられるのを思い出し、大好きな人と結婚して仕事も適度に続けていくのが理想なのでは?というところに行き着いた。

ガムシャラと少クラにより、Jr.の名前をたくさん覚えた。
特に深澤辰哉に至っては、キスマイのモノマネをしてくれていたので鮮烈に焼きついた。
顔が好きな子、おもしろい子、見るからに骨太で誠実そうな子…気になった子はすぐに名前をググった。
熱愛や密会について報道されている子が何人かいたが、妙に現実味があって嬉しかった。彼らはアイドルだけど健全な男の子なのだと実感した。
たくさん素敵な恋愛をして芸の肥やしにするべきだと思った。

横尾さんに対しても同じだった。人として幸せになってほしい。
ほっとけない芸人を自称しているが、それはすなわち一種のモンペでもあった。現に「横尾さんにパパ〜車貸してー」って言われたかった。
横尾担でナスとかイカとか、食材になって調理されたいと言う人をよく見かけたが、私は横尾さんのお父さんになりたかった。父として我が子の幸せを願うのは当然である。

ほっとけない芸人の故郷

それからの私はというと、起業をしたり、上司と盛大にケンカして退職したり、華々しいオタクデビューを飾っていた。
ひたすら映像作品を買い集める日々。
中でもDVD「SNOW DOMEの約束」は横尾さんの白シッポ付き衣装が大変麗しく、何度もShake It Upだけ再生した。
マジメな阿部という子が横尾さんのうちわを持っているのが嬉しかった。

関東とは数週遅れてド深夜にキス濱テレビが放映されていることを知り、無職というステータスを存分に活用する。
ちなみにキス濱テレビの後「おにぎりあたためますか」があって、「ジャニーズJr.のガムシャラ!」へと続く。
当時はジャニーズJr.といえば安井と高橋颯くんしか知らなかったが、裸の時代を読んだばかりで(横尾さんにもJr.時代があったんだよなァ…つまりJr.を知るということは横尾さんを知ることに繋がる…?)と思うと録画予約に至らないわけがなかった。ちなみに初めて録画したガムシャラはフィーエルヤッペン

Twitterでフォローしていたのはほとんど横尾担の方だったが、なぜかA.B.C-Z 特に河合郁人の名前をよく目にした。
読み方もわからず、「あびしーず?ナニ?」「かわい…いくと?何者?」のレベルだった。
デング熱が流行している中、代々木でコンサートが行われているらしかった。

あわせて、我が家でザ少年倶楽部が視聴できることに気付く。
Jr.の子たちがキスマイの曲を歌ってくれるのが嬉しく、A.B.C-Z河合郁人の読み方もここで知る。
ジャニーズWESTはテルシの声がよく立つ、セクシーゾーンは中島健人がスゴイ、A.B.C-Zは金髪の人が常にシャカリキと認識する。
キスマイ以外にも聞き覚えのある先輩ジャニーズの曲が観られるので、なかなかエモい番組だと思った。

このときのスタンスは『横尾担だけどジャニヲタではない』。他のグループに興味を持ってはいけない気がしていた。

地元では汗ばむ陽気の日が続く中、ホッカイロ ぬくぬく当番が発売された。
番組の合間のCMをわざわざ残し、30個入りを8箱買って懸賞に応募した。
横尾さんに直接影響するわけではないだろうが、少しでもキスマイのためになると思うと嬉しかった。
カイロは家族に配りまくったが、この冬使い切ることは無かった。

無事に就職が決まり、真面目に働き始める。
FNS歌謡祭のジャニーズメドレーでA.B.C-Zの「Crazy Accel」に惚れるが、気付かないフリをしていた。

横尾さんについて見識を深める上で、二宮和也小山慶一郎亀梨和也河合郁人野澤祐樹、岩本照の名前がよく登場するので、どのようなゆかりがあるのか調べた。結果、上記の面々に対し「お世話になっております」、あるいは安直に「横尾さんが好きな人は私も好き♡」と思うようになる。猫好きフィルターもあり小山慶一郎に対しては特別な感情を抱く。

余談だが、この頃姉がドラマ黒服物語にハマる。少年倶楽部中島健人を見るたびに「あの子黒服向いてないよ。早く実家の病院継いだ方がいい。たぶんお父さんも許してくれるよ」と報告してくる。

シングル「Thank youじゃん!」のリリース、そして深夜0時に日本縦断イベントが発表された。
入社したばかりの会社で欠勤を決め込む勇気は無かった。仕事あってのオタク生活なのだから無理をする必要はないと自分を励ました。

年が明けて、姉と横浜アリーナの新春イベントに参戦。これが初めてのキスマイ現場だった。
仕事終わりに飛行機と寝台列車を乗り継ぎ、翌朝7時に横浜入り、羽子板と風呂敷を買う。
通路側の席だったので誰か通ればラッキー♪程度に考えていたが、ド頭から玉ちゃんが登場し真横を通過する。
更に振り付け講座のコーナーでは真横に北山先輩が降臨、地声で「(振り付け)知ってる感じっすか?」と話しかけられ、アホみたいに頷きまくることしかできなかった。生の北山先輩はお顔が非常に小さく、ツヤツヤの肌に浮かぶ玉のような汗が美しかった。興奮する客席に嫌な顔ひとつせず、『アイドル北山宏光ここにあり』と言わんばかりの風格でどっしりと構えていた。
お目当ての横尾さんは寄り付くどころかいつもシャシャシャシャ〜〜ッと通り過ぎてしまい、残像しか覚えていない。
帰りの飛行機ではひたすら
「みっくん…だったね…」
「うん、みっくんだった……」
というやり取りが繰り返された。

コンサートツアーのDVDリリースもお祭り騒ぎだった。ただ、ボリュームがあり過ぎてなかなか手を付けられなかった。
渡辺翔太はえっらい声が高いな、と思った。

舞祭組「やっちゃった‼︎」キスマイ「Kiss魂」とリリースが続き、連動イベントに応募するため根性でCDを買いまくった。
特典の等身大ポスターが届き、自室のベッドに寝かせたり車に乗せたりして遊んだが2時間程度で飽きる。
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「ただいま〜。横尾さん風邪の具合どう?あっいいよ寝てて」とか言ってた。

リリースイベントは見事当選、会社の二階堂担と仕事終わりに大阪へ直行する。
空港まで行ったが搭乗する予定の便が欠航、自家用車で高速道路を駆け抜けた。

イベント会場はこじゃれた施設で、横尾さんに会えると思えば疲れも感じないつもりだったが、立ちっぱなしでの待機は辛いものがあった。

舞祭組とキスマイ、それぞれの曲披露、宴もたけなわといったタイミングでニカちゃんが「ハイタッチしよ」と言う。
またまたニカちゃん、そんなこと出来るわけないやん…ありがとありがと、気持ちは嬉しいよホント などと心の中で“ガッカリしない為の保険”を掛け始める。
すると北山先輩が「じゃあ…準備しますか」と言い、メンバーがぞろぞろとはけて行く。
隣のお姉さんは福岡から来たらしく、ヤバイですね、遠征した甲斐ありますね、とはしゃぎ合った。

根拠も無いのに、ハイタッチの順番は北山先輩からだと思っていたので、待ち構えるニカちゃんに動揺した。ニカちゃんは想像以上に肩幅がごつかった。
キスマイの手のひらに向かって申し訳程度に指先を接触させ、容赦なく流されて行く。流れに逆らうわけにはいかないが、この目で横尾さんを拝まねば、この想いを伝えねばならなかった。
横尾さんの背は高く、手は冷たかった。
普段から言っている宇宙がどうちゃらこうちゃらだのでは瞬発力に欠けると察した私は、柄にもなく
「横尾さん愛してるよ!」
と発した。
横尾さんはぱっとこちらに顔を向け、ニコっとしてくれた。直後に触れた藤ヶ谷メンバーの手が温かかったのもよく覚えている。

会場から排出された私は泣いていた。4月のよく晴れた大阪の空が眩しかった。
フォロワーのサイちゃんとも合流し、4人でオシャレなカフェに腰を落ち着けた。
「胸が…いっぱいだね…」
「うん……あんまり食べれないや」
みんながスウィーツのみ注文する中、私はビーフシチュー御膳を注文した。

同行した二階堂担は、帰ってから担当を辞めると言いだした。理由を聞くと、好き過ぎて辛いのだと言う。私にはこれが理解できず、そして自分だけがオタクとして取り残されるのが怖かった。
「嫌いになったわけじゃないなら、好きを突き詰めたら」「ツアー決まったらまた会えるじゃん」などとわけのわからない理屈で必死に引き留めた。

この頃から理解はできないものの、業界特有の“担降り”という事象を認識し始める。
私は常々思っていた。
私が横尾担を降りるなんて有り得ない、後にも先にも横尾渉を超越するようなジャニーズは存在するはずが無いと。
同時に、飽きっぽい性格ゆえにいずれ必ず熱が冷めることも自覚していたので、その時の訪れを恐れていた。

飼い猫は死んでしまったので気持ちの整理に時間が掛かったが、「飽き」は自発的に気持ちを片付けてしまう。失うというより自分から手を離してしまうので、その時には辛くも何とも無いのだが、熱中している最中にふと手離す時のことを考えると、熱中の対象に(いつか飽きると思う、ごめんね)と先に謝らずにはいられない。
せっかちなんだか準備がいいんだか、何年経っても改善の見られない、まさに愛の構造的欠陥である。

カラシマという人

ある冬、たまに帰って来る姉がやたらとキスマイBUSAIKU!?の動画を閲覧せよと言っていた。


当時の私は飼い猫と土田晃之にしか興味がなく、飼い猫より可愛い生き物・土田晃之よりカッコいい人間は存在しなかった。

音楽といえばメロスピ、デス声ツーバスあってこそ、レゲエとHIP HOPを囓ってロックDJを志した黒歴史もある。

ロキノンやアイドルを毛嫌いしており、しかし漫画・アニメ・声優は好きだったので、ユーロビートおニャン子系列には詳しいという、どこかの2ちゃんねらーみたいな嗜好だった。


そんな私がジャニーズに興味があるはずもなく、勧められても「あーね」でやり過ごしてきた。

姉は興味ある・なしでなく、“とにかく面白いから観て”と世界のおもしろ珍動画をゴリ推しするスタンスで自身のiPhoneを手渡してきた。

小さな画面の中で、アイドル達はタクシーを停めて何やら恥ずかしいことを言っていた。

Kis-My-Ft2を認識したのはこの時が初めてだったが、興味を持つのはまだ先のことである。



約半年後、親戚からテレビとブルーレイレコーダーを譲り受ける。

それまで我が家には録画をするための機器が無かったため、土田晃之目当てでサッカーW杯関連特番を録画しまくった。

姉もこれに喜び、キスマイBUSAIKU⁉︎の録画をするよう私に命じ、以前より頻繁に帰って来るようになる。

なんだかんだで姉大好き芸人な私は、興味は無いけれど毎週CMカットをしてドヤ顔で姉の帰りを待つようになる。



合コンは負け続き、職場の上司と言い合いになり険悪ムード、気になっていた業者さんには話しかけられないまま配置転換…仕事は好きだったが、つまらない日が続いていた。

(ふつうの恋がしたい、ふつうの人を好きになって心穏やかに過ごしたい)と思うようになっていた。


CMカット作業中のテレビ画面の中で、和風弁当を作った人がいた。

私は板前の修業をしていた時期もあったくらいなので、日本料理が好きだった。

土田晃之が好きなくらいなので、家庭的な男性には非常に弱い。

舌足らずな「ヘルシー和風弁当でぇす」が、心臓を突き抜けて行くのが分かった。


件の姉とは毎年旅行に出かけるのだが、この年は酷かった。

道中でもホテルでもUTAGE!を漁り、ずっと横尾さんの真似をしていた。

すぐ影響を受けるので、奮発して予約したラグジュアリーなスパで浜崎あゆみの「M」のハモりを練習した。


知れば知るほどに横尾さんは奥深かった。

第一印象こそ「主夫になってほしい」だったが、キスマイの母と云われるわりに甘々末っ子属性でパーソナルスペースがやたら狭く、放っておけない。

歌えない・踊れない・喋れない?だったらもっと努力しろ?いやいや、は?努力してないわけないし?むしろ誰にも真似できない横尾渉という職業こそが奇跡では?横尾渉横尾渉として日本国に実在するという覆しようのない事実!横尾渉ってもしかして宇宙的な何かかな??ん?尊いね??

というふうに、恋愛風味の感情をアッサリと打ち消し、“横尾渉ほっとけない芸人”としての横尾担を名乗るようになったのであった。